写真で、時代の問いを未来へつなぐ
なぜ今、足尾の写真なのか

なぜ今、足尾の写真なのか

― 写真が問いかける、日本の近代とこれから ―

写真は、過去の記録ではない

写真は、過去を閉じ込めるものではありません。
写真は、今を生きる私たちに問いを投げかける存在です。

足尾の写真が写しているのは、
単なる風景や出来事ではありません。
そこに刻まれているのは、
日本が近代化を選び、進み、悩み、試行錯誤を重ねた痕跡です。


日本の近代化は、足尾から見える

明治以降、日本は急速な近代化を進めました。
その原動力の一つとなったのが、でした。

足尾銅山は、日本の産業化を支え、
電気、鉄道、都市、暮らしの基盤をつくる役割を果たしました。

一方で、
その繁栄は公害や環境破壊という深刻な問題も生み出します。

足尾の写真には、
栄光と影、成功と代償、そのすべてが同時に写っています。


「正解」ではなく、「過程」を写した写真

足尾の写真が持つ最大の価値は、
完成された物語ではなく、途中の姿が残されていることです。

  • 失敗しながら進む技術
  • 対立し、悩み、模索する人々
  • 壊れた自然と、再生へ向かう長い時間

そこには、
「こうすべきだった」という答えはありません。

あるのは、
考え続けた人々の姿です。


現代社会と、驚くほど重なる問い

環境問題、エネルギー、産業と地域の関係。
足尾が直面した課題は、
100年以上を経た今も、世界中で繰り返されています。

だからこそ足尾の写真は、
「昔の話」では終わりません。

それは、
これからの社会をどうつくるのかを考えるための鏡なのです。


写真は、語り直されることで生き続ける

小野崎写真館では、
写真を「保存する」だけで終わらせません。

展示、出版、教育、観光、デジタル表現。
さまざまな形で写真を語り直し、
今の文脈に置き直すことを大切にしています。

写真が再び語りはじめるとき、
過去は、未来とつながります。


なぜ今、足尾の写真なのか

それは、
私たちが再び選択の時代を生きているからです。

便利さ、成長、豊かさの先に、
何を残し、何を守り、何を問い続けるのか。

足尾の写真は、
答えを押しつけることなく、
静かに、しかし確かに問いかけてきます。


写真が、未来への対話を始める

足尾の写真は、過去の記録ではありません。
それは、未来と対話するための入口です。

今、あらためて足尾の写真を見ること。
それは、
日本の近代を見つめ直し、
これからの社会を考えることにつながっています。